年寄り

お年寄りに席を譲ろう。

よく聞く話だ。小学生の時に担任だった先生が道徳の時間に教えてくれていた。

お年寄りや妊婦、怪我人には公共交通機関を利用する際には席を譲りなさいと。

たしかに、彼等は座っていないと危ないだろう。わずかな揺れで体を揺らし転倒するような危険があるのだから。そして、転倒した際の被害も大きい。

それはわかる。理解できる。

ただ、何故席を譲らないといけないのだろう。

まるで義務のように、機械のように、年寄りが来たから先を譲るというのには納得しかねる。

同じ金額を払い乗車しているのに、何故わざわざ座っていた席を立つという不利益を被らなければいけないのか。

これが、最初から年寄り、妊婦、怪我人は高い料金を払っているならわかる。

席に座っていた人の善意ならわかる。

ただ、それが義務だ。当たり前だ。常識だとする奴らに腹が立つ。

 

まず、席を譲る理由があるだろう。

それは立っていると危ないからだ。転倒の恐れがある。それにより被害が大きいと判断するから席を譲る。

つまり、自分で立って入られそうな人間には譲る必要はない。特に最近の老人は健康だ運動だと元気に死ぬ間際の生活を楽しんでいる。そんな彼らに席を譲る必要があるのか。自分で運動して、自分で疲れて、倒れるなら、それは自業自得で、体調管理を怠った自分の責任だろう。

電車で立ってられないと判断したなら、休憩するなら、迎えを呼ぶなり、タクシーで帰るなり、方法はいくらでもあるはずだ。それをわざわざ自分から電車に乗ったのなら、それは席を譲られること前提で乗り込み若者の前で疲れた顔を見せるのは実に傲慢だ。

基本的に公共交通機関は他人に迷惑をかけない行動を求められる。ならば、他人に席を譲らせる行為は迷惑に当てはまらないのだろうか。私としては非常に迷惑だ。特に年寄り当人や周りの席を譲れというの主張は悪質と言わざる得ない。

私はもちろん年寄りを見て判断する。当人が断ったり、明らかに顔色が悪かなければ譲らない。ただ、当人同士ではなく、見当はずれな正義感を持つ第三者が周りにいると厄介だ。

ギャーギャー騒ぎ立てたり、肩を叩いてきたりする。なら自分が退けば良いのだ。その正義感で席を譲る不利益が帳消しになるのだから、それで良いではないか。自分は座ったまま年寄りの正義の味方としての満足感を得ようというのは傲慢だ。